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文化・芸術

2017年4月29日 (土)

「ビーズ −つなぐ・かざる・みせる」

 国立民族学博物館40周年記念特別展で、3月9日から6月6日まで開催中。ファンシーで可愛いビーズ手芸というイメージに一線を画す民博のビーズ展示。なんでも繋げてしまうことをビーズという定義を持って、歯や骨、貝や木の実といった素材まで様々と奥深い。首にかけて飾るだけでなく、帽子や靴を飾り、かえって座りにくくないかと思わせる椅子とかもある。そもそも繋げて飾ることは、美しくはあるけど、全く実用とは関係ない。そんなビースを古今東西の人々は精魂込めて創っているのだ。なんとも不思議な静かな情熱が秘められたビーズではないかとしみじみと鑑賞してきた。

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2017年3月 1日 (水)

「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」

 兵庫県立美術館にて1月11日〜2月26日まで開催されていた「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国に行ってきた。
 このド派手な縦開きのチラシを見た時、以前東京で観たヘンリー・ダーガーを思い出した。どちらもアール・ブリュットの作家であり、ダーガーは非現実の王国の長大なストーリーを描き、ヴェルフリは『揺りかごから墓場まで』『地理と代数の書』等の二萬五千頁の作品を描いた。作風は異なるが、どちらも空白を恐怖するように画面が絵や字で埋め尽くされている。
 ヴェルフリは1895年に精神病院に入って、そのまま1930年に66歳で亡くなるまで退院することはなかった。作品の置かれている写真も図録に載っているが、その間ひたすら描き続けられたその量たるや凄まじい。初期は鉛筆のみのモノクロで、途中で色彩も入る。記号的な絵と、膨大な文字と、楽譜とコラージュとが組み合わされ、その無言の迫力に圧倒される。誰にも真似のできないこれらの作品を生みだすために、天は病いを与えたのかと思うと、ちょっとやりきれない。

2017年1月16日 (月)

「見世物大博覧会」と関西文化の日

 国立民族学博物館の「見世物大博覧会」に行かなくちゃ!と思いながらもなかなか行けず、会期の9月8日〜11月29日の終わりも迫ってきた。そのうち、もう11月19日しか行ける日がないとなってしまったが、その日は「関西文化の日」だった。あちこちの美術館・博物館で入場料が無料になるので、人出が多いだろうなあと思って、今までは有料でも行きたい演目には行くのを避けていたのだが仕方ない。戦々恐々として行ってみたのだが、特別展自体はあまり普段と変わらなかった。しかし、「関西文化の日」に関連してイベントが繰り広げられていたので、その関係者やボランティアや知り合いがたくさんきていた様子で、総じて民博自体はやや多め?という感じだった。
 関連イベントというのは、まず、普段あまり使っていない特別展の地下のフロアーで「北大阪ミュージアムメッセ」というのが開催されていた。北大阪のいろいろな施設がブースを設置してPRをしていたので、ついいろいろパンフレットとかもらってしまった。「JT生命誌研究館」の機関誌は立体的に折れたりしてとても凝っていた。「吹田市立博物館」は小松左京展のとき一度行っただけだったなあ。他にも「ニフレル」や「五月山動物園」など。民博のボランティアさん行なっている「きり絵で楽しもう! 中央北アジアの文様」という30分のワークショップがあったので参加させてもらった。用意してくれた文様から2種選んで、色紙を切って、それをカレンダーにしてくれるのだ。それ以外にも、本館のロビーで淀川三十石船の船頭唄やガムランの演奏と舞踊があり、ほとんど無料だったので、けっこうお得感があった。

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 さて、「見世物大博覧会」。田舎で育った私は、昔でも人間ポンプやへび女やクマ娘やカニ男が並ぶ見世物小屋を実際には見たことがない。でも、そんな胡散臭い名前やケバい看板をなぜか知っている。きっとそれは漫画や雑誌や映像で知っていたのだろう。そんな見世物小屋などの歴史や民衆文化の一部として、民博が展示に取り上げたの、もしかして今回の展示が初めて? ここで、以前千葉の歴博の「大ニセモノ展」にいた人魚(といわれるもの)に再会! 民博、歴博の資料が多いけど、いろいろな所蔵館から取り寄せているのが、図録を見るとわかる。凝った企画で、構成や見せ方も工夫しているし、ここはキュレーターの腕の見せどころ?(民博は大学なので、教授の研究成果?)

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2016年12月12日 (月)

映画上映会「松本雄吉追悼特集」

 維新派座長の松本雄吉さんを偲んで、大阪のシネ・ヌーヴォで2016年11月5日(土)〜18日(金)まで「松本雄吉追悼特集」の上映会が開催された。しかし、これ、14日間で18プログラム、18時からと20時20分からの枠組みで組まれている。なかなか厳しいスケジュールで、1回しか上映されないものも多い。オモテ稼業のシフトとか考えても3回が限度かなあと思って、前売り3回券で見ることにした。すでに舞台でみたものやビデオやDVDの持っているものは除いて、その中から、『特別編集版〜松本雄吉さんと歩く』『足乃裏から冥王まで』『京都鬼市場・千年シアター』の3作を観た。
 『特別編集版〜松本雄吉さんと歩く』 維新派の制作だった高岡茂さんが撮りためてきた記録映画で、舞台やインタビュー以外の取材や海外遠征の時のふだんの松本さんの姿を観る。上映後、その高岡さんと演劇評論家の小堀純さん(プレイガイドジャーナルの人だったのか!)、稲村純さん(建築家、松本さんとは高校時代の美術部の先輩)という3人と、維新派俳優の平野舞さんでのトークショーがあった。古い話がいろいろ出て、「ほ〜、へ〜」だった。この日は、初日でトークショーもあったせいか、20時20分開始に関わらず超満員だった。
 『足乃裏から冥王まで』1979年、維新派がまだ日本維新派だった頃の映像。井筒和生(和幸)監督による1979年冬の天王寺野外音楽堂での公演の記録映画。維新派よりもアングラで、画面も暗くて、話がよくわからず、ドロドロだった。
 『京都鬼市場・千年シアター』 1987年夏に京都五条千本の空地に出現した「鬼市場」。そこに映画『1000年刻みの日時計』を上映するための専用映画館「千年シアター」を建てようという計画。松本雄吉さんが棟梁となって、木枠と土壁の映画館を1ヶ月で作る。みんな寄って創り上げる泥だらけの土木工事は、維新派の野外劇場の原点か。風景や人々の様子が時代を映して、懐かしい。この頃、私はまだ大阪にいたのと、夏の繁忙期だったせいか、こんなイベントがあるのを知らなかった。
 維新派の作った映画館は、3つ。「千年シアター」は1ヶ月で壊され、梅田にあった「シネ・ヌーヴォ梅田」は1年ぐらいでなくなったらしい。(私は結局行ったことがない) この上映会が企画されている「シネ・ヌーヴォ」だけが残っている。シネ・ヌーヴォは海の底のイメージで内装された。(梅田の方は、地中のイメージだったらしい)シネ・ヌーヴォは来年1月、めでたく20周年を迎える。改装のためのクラウドファウンディング(12月26日まで)を行なっていて、私もつい参加してしまった。

2016年12月11日 (日)

最後の維新派「アマハラ」

 6月に主宰の松本雄吉さんが亡くなり、最終公演となる「アマハラ」が2016年10月14日(金)〜24日(月)に奈良・西大寺の平城宮跡で開催された。
 DMが届いて、先行予約に少し出遅れたら、土日がソールドアウトになっていた。平日の月曜日がいちばん休み安いので、月曜日に2回チケットをとった。そして、維新派で知り合った友人が土曜日に観に来るので、観劇しないけど屋台村に一度行った。合計、3回通ったことになる。チケットの1回は千秋楽。今回は、前売り券の完売がものすごく早かった。当日券も販売していたが、たくさんの人が並んでいた。遠くから来た人もいるし、公演中にでも屋台村に残っている人もいた。きっと、今まで何らかの形で維新派に関わった人たちが、今回はたくさん来訪していたのだろうなあ。
 松本雄吉さんが最後に選んだ舞台は素晴らしかった。広大な平城宮跡の中に現れた廃船をイメージした舞台。バックにはすすきの野原、背景には夕焼けから闇に沈んでいく生駒山。ライトアップされた大極殿や朱雀門が端に見えて、時折銀河鉄道のような近鉄電車が走る。「《彼》と旅する20世紀三部作」の「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」の改編といっても、新作に近い。その旅の行き着いた先がシルクロードの終点の奈良、そして維新派が幕を閉じる。その劇場に居るだけでも感慨深い。
 今回のパンフレットは読みどころがたくさんで、今公演に至るまでの経緯が詳細に記されていた。今公演が「松本雄吉を偲ぶ会」であるということだが、こんな素晴らしい舞台を作り上げた団員のみなさんに拍手を送りたい。雄吉さんがこうでありたかった表現、構図、セリフ、そして時代とともに流れていく名もない人々も物語……、何の違和感もなく、今までの維新派の舞台と比べても勝るとも劣らない。そして、今回は雄吉さんの守護のおかげか、上演中ずっと雨が降らなかった。(前後には降ったが)
 会場には、松本雄吉さんの遺影があって、メッセージを添えていろいろなものが供えられていた。あの猥雑で楽しい屋台村もこれで最後。アジア各地や、沖縄、ブラジルなどのメニューの屋台が並ぶ。モンゴルパンはずっと長蛇の列。ライブステージもあり、街頭紙芝居があり、夜にはサーカスもある。いつもより滞在する人数が多かったように見えたが、千秋楽はさらにたくさんの人が名残を惜しんでいた。
 ほぼ四半世紀、維新派といっしょに旅をした。再開発前の東京汐留の「少年街」、初めて犬島に行った「カンカラ」が特に印象的。南港にも何回通ったことか。雨に降られて、カッパを着て観劇したこともある。野外劇は行けなかった演目を数える方が早いくらいだ。年中行事がひとつがなくなってしまったようで、寂しさをおぼえる。今回が国内の維新派の最終公演だが、解散は今後の予定によって少し先になるかもしれないとのこと。その後、松本雄吉さんの追悼映画会があったり、「アマハラ」のDVDも後日発売されるようなので、しばらく様子を見守っていきたい。
 維新派のホームページはこちら

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(会場に向かうときは明るい)


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(帰る頃には闇に劇場が浮かび上がる)


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(パンフレットと「松本雄吉追悼特集」の映画会のチラシ)


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(屋台村でのサーカス)

2016年11月28日 (月)

瀬戸内国際芸術祭 全体の感想

 瀬戸内国際芸術祭は3月から10月まで3期に分けて開催されている。今回春に1回、夏に2回、秋に2回行くことができた。長期間の開催だったので、ちょっと気がついたことがあった。「公式ガイドブック」には大変お世話になったけれど、全部の情報が100%正確ではない。改訂が不十分だったであろう部分、期間のうちに状況が変更になったであろう部分、間違いとは言わない部分もあるが、いい意味でも悪い意味で変更点があった。本島では宿の電話が2件、「現在使われておりません」になっていた。直島では、メールで連絡とあったのでメールを送ったけれど2回とも1週間待っても何も返事がなかった宿があった。小豆島では休館日が違っていた。予約できる食事にメニューが違ったりは些細なことだが、お店が見つからないところがいくつかあった。港の名前の誤植もあった。その反面、駅と港や島の中でシャトルバスが走っていて、「歩くしかないか」と思っていたところ大変助かったこともある。また、港の案内所にガイドブックになかった手荷物預かりをしてもらえるところがあったのはありがたかった。また、公式ガイド発行の段階では、制作は未定だった作品の場所などの詳細が変更になったりしているので、行く直前や現地に着いたら情報を再確認することは必要だと反省した。まあ、こうやって経験値を積んで行くのだろう。

 昨今、あちこちで町おこしみたいな地方の芸術祭が開催されている。元祖は妻有の「大地の芸術祭」かと思うが、瀬戸芸もトリエンナーレであり今回で3回目になる。実際、アートは参加作家が重なっていたりして、だんだん特徴を出すのが難しくなってくるのではないかと感じる。その中で、特徴を出そうとしたら、その土地や自然なんだろうなあと思う。山や谷や平原や豊かな自然はいろいろなあるが、やっぱり島がいい。それも小ぶりの島を訪れるのが楽しい。(これは好みの問題)しかし、どこに行っても、田舎は住民の高齢化や過疎化が目につく。島はたまに訪れるのはいいけど、暮らすとなるとやはりいろいろ大変だろう。申し訳ないが、私も生活するのなら都会の方が性にあっている。田舎で育ったから、田舎暮らしに憧れるような思いはない。田舎は嫌というわけではないが、きっと暮らすにはあわない。だから、私が「島はいいですねえ」というのはちょっとおこがましい気がする。でも、こういう芸術祭がきっかけでその土地に移り住んだ人もいるという。自分はできないが、そういう人たちは応援したいので、また芸術祭があったら訪れるだろう。こんな人間でも嫌がらずに迎えてほしい。今後ともよろしくお願いします。

2016年11月27日 (日)

瀬戸内国際芸術祭 秋の巻 小豆島ちょっとだけ

 3日間のうち、1日目と3日目のできる範囲で小豆島を回ることにした。そもそも、小豆島ってデカすぎ! 作品も広範囲に点在しているし、徒歩や自転車は無理。バスも本数はあるが、行き先によっては2時間に1本のようなところもある。ここは車のアシがあればベスト。小豆島はあまり予習をしていなかったし、関西に住んでいると比較的近いのに実は今まで来たことがなくて土地カンもないので、あまり上手に回れなかったと思う。
 1日目は昼頃フェリーで宇野から土庄港に向かう。フェリーは1時間ほどかかるので、宇野港で「宇野ののり弁」を買って、船の中でいただく。宿はフェリー乗り場から近いところにしたので、先に荷物を預けて、半日なので、ちょっと遠いが、自転車で肥土山(ひとやま)・中山に行ってみることにした。バス停の数と距離を考えて行けるとふんだのだが、思ったより遠かった。街中のバス停と違って、田舎のバス停は間隔が長い。行きはダラダラ坂でしんどかったが、帰りは風をきって楽チンで気持ちが良かった。作品の近くまで行くと、自動車道から川に沿った遊歩道の方に入って、田んぼの中のわらアート、ワン・ウェンチー「オリーブの夢」まで回った。


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「宇野ののり弁」


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わらアート(中山)


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中山の棚田とワン・ウェンチー「オリーブの種」


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ワン・ウェンチー「オリーブの種」 


 土庄港で自転車を返したあと、宿のおかみさんから港まで送迎バスがある「オリーブ温泉」を教えてもらう。宿は素泊まりで、お風呂も小さな家族風呂なので、バスで5分ばかりのその施設で夕食とお風呂をすませる。ここは観光施設というより、地元の人の方がよく使うスーパー銭湯のようなものだった。土庄港近辺では夜は店がほとんど閉まってしまい、かろうじてコンビニが1件あるだけなので、朝夕はつましく、昼食はいろいろ冒険してみることにした。
 3日目の月曜日は、宿に荷物を預けて、バス1日券を使って、醤(ひしお)の里・馬木(うまき)あたりを巡り、昼を福田アジア食堂で食べる、そのあとはバスの時間次第というところまで計画した。醤の里はほんとうに街全体がおしょうゆの匂いがした。醬油の蔵元の建物や古い町並みの中に作品が点在する。土日はものすごい人出だったらしく、「今日はゆっくり見れますよ」と土地の人が言ってた。散策したあと、バスで福田に向かうが、ここでアクシデントが! 福田は直島の飛び地になっていて月曜日が全域休館日にだった! 公式ガイドブックには水曜休とあったのになあ。福武ハウスだから気がつくべきだったか。折り返すにも帰りのバスは2時間後。福田のインフォメーションにいた案内の人におすすめされたのが、大部(おおべ)。一日乗車券を買ったので、島を一周するのもいいかと思って、20分後のバスに乗り継いで向かう。リン・シュンロン「国境を超えて・潮」竹腰耕平「小豆島の木」の2作品はどちらも地元の人が協力して制作された大きな作品だった。「小豆島の木」の受付にいた地元のボランティアのおばちゃんが楽しそうに喋ってくれたし、「国境を超えて・潮」は近くの建物で製作の様子を写真やメッセージで紹介していた。その後、バスに乗って土庄まで戻って、町なかの作品をいくつかみる。町なかには道が複雑に入り組んでいる「迷路のまち」のエリアがあり、その中に迷路のような作品があったりして彷徨うのがまたいい。

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醤の里


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醤の里


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竹腰耕平「小豆島の木」


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リン・シュンロン「国境を超えて・潮」


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リン・シュンロン「国境を超えて・潮」


 今日は予定が変更になったりして、不規則な食べ方をしてしまった。朝に醤の里でちまきをひとつ、大部でうどんを一杯、そのあとちゃんとしたランチっぽいのをたべたのが、土庄に戻ってきて、「セトノウチ 島メシ家」にて、3時ごろだった。
 帰りは高松までフェリーで渡って、JRで帰って来た。
 今回の私の瀬戸内国際芸術祭はこれにて終了。

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「セトノウチ 島メシ家」


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チェ・ジョンファ「太陽の贈り物」

2016年11月26日 (土)

瀬戸内国際芸術祭 秋の巻 豊島再び

 というわけで、秋に本島・高見島・粟島に行って来たが、そっちは思いがけず休めた3連休に行ったので、本来休めるかもと画策していた連休にもう一度今回最後の瀬戸芸に行く計画を立てた。春にちょっとしか回れなかった豊島(てしま)が心残りだったので再挑戦、それと全く行けてなかった小豆島を残る時間で少しだけ。しかし、今回も手配が2週間前くらいになったので、土曜日の宿がなかなかとれない。ホームページで、豊島宿泊者だけのナイトツアーというのがあったので、ぜひ参加してみたいと思ったが、豊島の宿は全滅。残念だけど諦めて、小豆島の土庄(とのしょう)の港近くに連泊して、フェリー3日間乗り放題券で豊島に往復することにした。

 春には、家浦−豊島美術館—唐櫃浜(からとはま)をバスと徒歩で回って時間切れになった。硯(すずり)や甲生(こう)などに点在する作品を回りたいので、レンタサイクルにすることにした。しかし、9時過ぎのフェリーで渡ったにもかかわらず、すでに唐櫃浜港の最寄りの店は予約でいっぱいだった。もう1件の店は予約なしの先着順だったので、なんとか確保。本当は電動自転車の方が楽だったようだが、贅沢は言えない。唐櫃岡の手前までは登り坂で、その日は「棚田の収穫祭」というイベントが開催されていたが、行きの時は主催者が開会式で挨拶している途中だったし、帰る時はすでに店じまいをしていた。残念。その坂の上からは、レンタサイクルのお店の人のオススメに従って、時計回りに回ることにした。とてもきつい坂はなかったが、全体の道が登ったり下ったりのダラダラ坂なので、あちこち自転車をついて歩いたが、下り坂は気持ちがよく、気になったところに気ままに停まったりできるので、バスよりも楽しかった。畑に農耕牛がいたり、みかん園やコスモス畑があったり、ヤギ牧場があったり、道祖神や神社があったりする。
 甲生では、ケグ・デ・スーザの海苔で作った構築物や塩田千春の木造の作品「遠い記憶」など。そのまま家浦方面に進んで、大竹伸朗の作品「針工場」まで行って、その隣のカフェ「コートヤード」で早い昼食というか遅い朝食というかのテイクアウトBOXで休憩。ここには広い芝生の庭があって、外で食べるのは気持ちがいい。そのあと、家浦を通って、「海のレストラン」でちゃんとした遅めのランチ。海が望めるテラスは静かでゆっくりできる。そのあと、硯の竹林の中にある森万里子「トムナフーリ」をみる。ここも静かな空間だが、定期的に光るはずでしばらく待っていたが光らなかった。その後唐櫃岡まで着いた時は2時を過ぎていた。いくつかの作品が集まっているので、自転車を駐輪場に置いて散策する。島キッチンはすでに片付けモードになっていた。公式ガイドには詳細が載っていなかったボルタンスキーの作品は、新しい豊島の地図には載っていたが、徒歩で15分ほどかかる森の中らしい。帰りのフェリーの時間が気になったので、残念ながら諦める。
 その後、唐櫃浜まで戻って、夕方のフェリーで土庄に戻った。昼食を贅沢してしまったので、夕食は帰りにテイクアウトで買った豊島バーガーで簡単に済ませた。


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ケグ・デ・スーザの海苔の作品(甲生)


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塩田千春「遠い記憶」(甲生)

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大竹伸朗「針工場」(家浦)


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海のレストラン


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海のレストラン外観

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青木野枝「空の粒子」(唐櫃岡)


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唐櫃の清水

2016年11月25日 (金)

瀬戸内国際芸術祭 秋の巻 粟島

 2日目の夕方に粟島で投宿。波の音がずっと聞こえる民宿だった。翌日は、週間天気予報を裏切って快晴! さすが晴れの特異日だ。粟島は面積3.68㎢、人口257人。船のスクリューのような形をしている。港の案内所に手荷物を預けて、粟島を徒歩で巡る。この島では海や漂流物がテーマの作品が多くて印象的だった。もと粟島海員学校の木造校舎もいいきしみ具合で歴史を感じさせる。午前中に西浜まで歩いて、そこの1軒ポツンと建っている「サイレント・カフェ」でコーヒーと中庭に置いてある釜で焼いたピザをいただく。遅い昼食は港から10分ほど歩いた「マクロビのカフェNPGIROU」で野菜たっぷりのていねいなランチをいただく。食べものも充実した1日だった。帰路は、船で粟島港から須田港へ戻り、須田港からJR詫間(たくま)駅までは芸術祭のシャトルバス。JRの詫間から多度津で特急に乗り換えたら、あっと驚くアンパンマン仕様の「南風」だった。

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西浜の日比野克彦の作品

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「サイレント・カフェ」

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もと粟島海員学校

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もと粟島海員学校の中庭

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「マクロビのカフェNPGIROU」

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アンパンマンの「南風」

2016年11月24日 (木)

瀬戸内国際芸術祭 秋の巻 高見島

 2日目は、丸亀からJRに乗って多度津(たどつ)へ。駅から多度津港までは、シャトルバスがあった。多度津港に着くと、高見島行きの船は臨時便も出る混雑ぶり。今晩の宿は粟島なので、コインロッカーはないのはわかっていたが、荷物を持って高見島へ向かう。公式ガイドブックによると、高見島は面積2.33㎢、人口44人。住民は犬島と並んで最も少ない。念のため、島唯一の民宿の森田屋さんに昼食の予約と、荷物を預かってもらうかもしれないとお願いはしていたが、港の案内所で手荷物預かりをしていたので、ありがたく使わせてもらった。食べるところが少ないとあったが、書き入れ時なのかガイドにない店があったりして、心配するほどではなかったし、森田屋さんも予約をしなくても大丈夫だったようだ。
 午前中は島あるきのボランティアさんについて、島をまわった。海岸線に太い道が一本あるが、平地は少なくて山の傾斜に張り付くように浜地区浦地区の集落がある。集落の中にポツポツと廃屋があり、住民の密度の薄さが感じられるが、四国側に家があって普段住んでなくても、島に定期的に通っている人がいるのかもしれない。中島伽倻子さんの闇の中の光を表現したふたつの作品が印象的。坂の上の大聖寺では茶粥の接待もいただいた。天気は湿気た曇りから午後になると晴れ間も見えてきた。

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「時のふる家」

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「覚悟のイロハ」 in旧高見小中学校

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「よなべのみやげ」

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大聖寺の接待 茶粥

 瀬戸芸の間だけ、本島・高見島・粟島を繋ぐ船のルートが設定されているので、1日で3島回ることも可能なので、だいたいみんな半日で他の島に移動する。が、高見島でのもう一つの目的の廃村を見るため、昼ごはんにさつま飯を食べて、作品はないけど、板持地区を目指して歩く。高見島も浜、浦、板持の集落ごとの両墓制の墓地がある。が、残念ながら、板持地区の墓地がいちばん手入れがされていなかった。海岸線の道を30分ぐらい歩いて、道の終点まで来たが、村への入口が見つからない。村は海岸からはみえないんだとわかって、引き返してみると、井戸と道祖神のあるくぼんだ場所があり、奥にコンクリートの階段が見えた。あたり!と思ったが、階段には濡れた落ち葉や枯れ枝、蜘蛛の巣がはっている、前回の瀬戸芸の作品の残骸らしき枝の束が見える。廃屋のいくつかが見えた。廃村というから、実はもっと乾いた埃っぽい荒廃ぶりをイメージしていたのだが、どちらかというとジャングルの中に埋もれるカンボジア遺跡に近かった。(石じゃなくて木造だけど)自然の力はいとも簡単に人間の営みを植物で覆い尽くし土に還してしまう。そんなに歩かないうちに道も大枝に阻まれて通れなくなり、前に進むことを断念した。

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さつま飯

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海岸線の道

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村への入り口

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