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2011年10月

2011年10月12日 (水)

マンガ『図書館の主』第1巻

 『図書館の主』 篠原ウミハル著 (芳文社)
 よく行く本屋さんで、店内の一角をとってプッシュしていた。そして、「図書館」とタイトルについてたので、つい手にとって吟味してしまった。でも、この作者は知らない。あまり買ったことのない出版社。おまけに巻数付き。……躊躇する要素はいっぱいだ。う〜ん、どうしよう……と考えて、賭みたいな気持ちで購入。結果、アタリ!!!
 公園の一角にある私設の児童図書館。司書の御子柴(みこしば)くん(男性)を中心に、児童書のネタを織り交ぜたホロリとさせる連作短編集だ。「ここにはこんなにお前を待っている本がある」「司書っていうのはな 図書館の目だ」「本に呼ばれた奴以外をここに入れる気なんか毛頭ない」「この本を読むために明日も生きていこう そう思える本を私に読ませて」……と話のあちこちにけっこう名セリフがいっぱいだ。その中には、現実ならこっぱずかしくて言えないし、公立ならそこまで言えないよなあという部分もあるけど、図書館司書たるもの、これくらい言い切れないと!と読んでてついうれしくなる。
 おまけにさりげなくシビアな現実を折り込んでいて、その現実がピントがあっている。主人公が子どもで利用者だった頃や公立図書館勤めだったころの専門職ではないやる気のない館長の態度、資格がとれても職が得られない司書免許、自習が席を陣取る図書館。それに、ちゃんと守秘義務やレファレンスのことも含ませている。なに?! この作者、ずいぶん下調べしたのか、図書館フェチか、元ギョーカイ人?
 と、ほめることが多いのだが、出来るなら表紙の書架はもっと児童書の本棚らしくしてほしかったなあ。それと、司書同志は「○○司書」という呼び方はあまりしないと思うのだが、地域によってはやっている?

2011年10月 5日 (水)

マンガ『インドな日々』第4巻

『インドな日々』 流水りんこ著 (朝日新聞社)
 作者も後書きマンガで驚いている6年ぶりの新刊! その間に朝日ソノラマはなくなって、出版社が変わってしまったよ。この間に『インド夫婦茶碗』や『昭和の子ども』とか、エッセイマンガをいっぱいだしているりんこさんだけれど、最初の出逢いが『インドな日々』だったので、このシリーズがやっぱりいちばん思い入れがある。この第1巻が出る前に、というか、マンガ家になる前から、バックパッカーなインドフリークだったんだから、「マンガ家っていい職業を選んだなあ」としみじみと感心したものだった。さらにそのネタでマンガが描けるなんて、一石二鳥というか一挙両得というか……すばらしい!!!
 でも、結婚して、子どもができて、仕事もしてるし、なかなか一人旅ができなくなってしまって、この巻の最期の方の13年ぶりの(いちおう)一人旅! ああ、やっぱりりんこさんはインドに呼ばれているのねえ! と、なんとなくうれしかったのよ。これからもインドを描き続けてほしいっす!

2011年10月 3日 (月)

維新派の犬島、三度(みたび)

 大阪の劇団、維新派につられて、2002年と2010年に岡山県の犬島(指定都市になったので、犬島は岡山市東区になるらしい)を訪れた。その間に2008年に犬島アートプロジェクトの精錬所跡の見学に一度来た。そして、2011年、2年連続で犬島へ来るとは思わなかったが、三度維新派の演劇を観に犬島来訪となった。
 今回の維新派はちょっとちがった。いままでは野外に巨大な舞台をぶち立てていたが、今回は犬島の自然が舞台装置だった。中の谷入江で干潮にあわせて開演される。だから、9月23日〜25日、すべて開演時間がちがう。風の音、波の音、波紋のひろがり、海面に映る影、すべてが自然の舞台装置だ。
 タイトルを、「風景画 —岡山・犬島—」と、いう。
 いや〜、今回ほど、「雨がふってなくてよかった〜」と思わずにはいられなかった。なんせ、1列目は干潟を見下ろす道の縁に腰かけているだけなのだ。2列目はビール瓶の箱を足に板がわたしているのが座席だ。ざぶとんがわりのパズルマットが1枚づつ配られている。維新派のことだから、台風以外は雨天決行だろうけど、雨だと演るほうも観るほうも、いつもの野外舞台以上にワイルドになりそうだ。役者もいつものかっこうだけど、下は地下足袋。それも、干潟の水位がおもったよりあるので、立ち位置によってはヒザぐらいまで浸かっている。「干潟ってこんなものなのかな?」と観ているときは思っていたけれど、後でHP(維新派検定Q51参照)を観たら、思ったより潮が引かなかったようなのだ。あ、やっぱり。演出はわりと地味で、ここちよさにつられて、ついウトッ……としたら、1列目だと干潟に落ちてしまうかも!と思ったらかえって緊張した。おまけにケータイとかチラシとかなにか手に持って落としてしまうと、干潟の海水にボッチャンで回収不能になってしまいそうだ。演目が進んでいる間も、地元の人が後ろを自転車で通ったり、子どもが駆けていったりする。とても不思議な時空間がここにあった。
 この90分間の演劇を観に、朝6時半に家を出て、新幹線に乗って、バスに乗って、船に乗って、犬島に渡り、逆コースをたどって帰って来たら夜の7時半だった。岡山駅からの無料シャトルバスが朝9時発で、船の定期便の便数も少ないので、島について4時間ぐらい開演まで時間があった。行きのバスで偶然となりに座った同世代の人といっしょに、精錬所跡の見学(以前は予約制だったが、今は予約不要)と村の中で展開されている家プロジェクトを観てきた。一人で巡ると黙々と歩いてしまいそうだが、維新派つながりのおしゃべりしながら楽しく時間を過ごせた。
 村を巡ったときに、「以前より人に会わないなあ」と思ったら、劇の中に「今は49人住んでる」というようなセリフがあって、ギクッとした。帰ってから、2008年の見学の時に案内してくれたおばちゃんの話のなかで200〜300人住んでいると聞いた(と、自分のブログに書いてあった)のに、たった3年で5分の一!?……岡山市唯一の有人島は風前の灯火なのかもしれない。なのに、今回いったら港の近くにこじゃれたカフェいくつか出来ていた。弁当も売っていた。「何も食べるものがない」と思って、食料も飲み物も用意して入島したので、島にはあまりお金を落としてこなかった。今度行くときには島はどうなっているのだろう。
Ishinnha111


P9250042


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