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2010年11月

2010年11月29日 (月)

ケララバワンと「空と宇宙展」とコミティア

 いろいろ不義理や積み残しや怠慢があるのだが、去る11月13・14日にコミティアにひっかけて東京に行ってきた。今回はタクヤ(小5)と二人でいったので、セッティングするポイントが限られる。いろいろ考えて、ケララバワンと「空と宇宙展」を組み合わせることにした。

 ケララバワンはマンガ家流水りん子さんのダンナさん・サッシーさんがオーナーの南インド料理のお店。練馬区の方にある。流水りん子さんの著書『インド夫婦茶碗』や『働くインド人』を読んでいて、「いつかは行きたい〜」と思っていたお店だ。まあ、そういう動機だけではなくても、南インド料理店というのはなかなかないのだ。日本のインド料理店はほとんど北インド料理で、エッセイマンガにでてくるマサラドーサやバナナの葉っぱで出てくるミールや南インドの朝ごはんウプマなどがメニューにある店はほとんどみあたらない。とりあえずランチに挑戦して、お店の定番をいただこうと思って、最初の目標に設定した。
 ところがここでアクシデントが! ……というか、政情把握ができていなかった私がわるかったよ。新幹線で品川に着いたら、駅の中がおまわりさんだらけだった。それはまあいいとしても、駅のコインロッカーがすべて閉鎖!!! のど元過ぎたらもうわすれているかもしれないが、13・14日は横浜のみなとみらい地区でARECが開催されていたのだ。関東一円が警戒態勢になっているらしい。しかし、困った。こんな大きな荷物をもって動き回りたくない。一度ホテルに荷物を置きに行くことにしたが、こんなときに限って、よく泊まる品川ではなく、ビッグサイト近くのホテルを新規開拓していたのだ。(コミケの時にはこの周辺はまずムリなので) これで、1時間半ほど時間をロスして、ケララバワンについたのが2時前になっていた。
 それでも、店に着くと、まだ人が並んでいたのでビックリした。15分ほどで入ることができたが、これじゃあ、週末のディナーはなかなかきびしそう……。さて、席について、私はミニミールスのセット、タクヤはチャイルドセットをいただいた。ミニミールスについてたケララのパン・パロタをタクヤが気に入って、「(薄くはがれるので)湯葉みたい〜」と言って、半分ほど横取りされた。会計時、サッシーさんに一言ごあいさつしました。ケララバワンのHPはこちら

 そのあと、上野の国立科学博物館を目指すのが、店を出たのが3時、練馬から上野まで地下鉄大江戸線で1時間近くかかった。たどりついたのが4時15分ごろ。つくづくAPECの余波がイタイ。それでも、せっかく来たんだから、お目当ての特別展だけでもみることにした。いつもの特別展会場は仕切りを取り払って、各務原航空博物館のようなハンガー状態になっていた。日本で動力飛行が実現してから100年、その歴史を時代に添って展示していて、最後が「はやぶさ」なのだ。いままで本の写真やCGでしかみなかった「はやぶさ」の実物大の模型があった。大きいといえば大きい、土木現場にある大型作業機械並みの大きさである。が、小さいよなあ。宇宙空間では本当に小さな物体だ。これが、60億キロの宇宙空間を旅して還ってきたのか……、感慨無量である。……が、いかんせん小学5年生にはちょっと難しい展示内容だった。閉館ギリギリまでいて、図録と「隕石おかき」を買って退館する。

 翌日はコミティア。今回はビッグサイト近くのホテルにしたので、朝はゆっくりホテルモーニングをいただく。いつもの子連れエリアだが、5月のGWのコミティアよりやや少なめのような気がする。といっても、お顔なじみのサークルさんもいて、タクヤはすっかりよその子になっていた。でも、もう5年生だから、あとせいぜい1年ぐらいで子連れエリアは卒業だなあ。今回はなぜかお隣が若い男の子3人のサークルで、「配置ミス?」と思ってしまった。こんなこともあるのか。売り上げはぼちぼちだったが、関西コミティアでお隣だったサークルの方が訪ねてくださったり、おひさしぶりに会うサークルさんと発行誌を交換したり、充実した展示スペースをうろついたりできて、元気をいただいた。

2010年11月 6日 (土)

書籍『オタクの逝き方』

 『オタクの逝き方』 (BUILTRUNS)
 ネットやmixiでちょっと話題になっていたこの本を、先月本屋で見つけた。そのとき、たまたまエコポイントでもらった図書カードがあったので、勢いで買ってしまった。いや〜、ついにおたく(私はひらがな表記がすきなんだが)の世界もそんな年代になったか、としみじみ感じ入った。といってもSFファンダムは一世代さきを行っているので、そんなに目新しいテーマではないのだが、やっぱりマンガ・アニメおたくはSF者よりビジュアルにヤバいものを多くもっている人もいるので、もっと事態は切実なのかも。
 岩田次男さんや米澤嘉博さんが50代でお亡くなりになり、アトム世代やウルトラマン世代はもとより、ヤマト世代あたりのカタギになりきれないおたくのみなさんが軒並み50代に足をかけて、健康について留意しなければならない年代になってきた。あと10年すればガンダム世代も50代だ。だんだんこういうネタの本も増えてくるかもしれないが、こういうのって、一番に出したほうが勝ちってわけよね。
 しかし、見られたくないデータをあらかじめ登録しておいて、デスクトップのアイコンをクリックするだけで消去できるソフト「俺が死んだら……」とか、設定した時間内にPCを起動しないと設定したファイルやフォルダを消去する「死後の世界」というソフトがあるとは知らなかったよ。それに、この本は死ぬ側のためだけでなく、遺されて整理する側にも参考になるようにと書かれているので、いろいろ一般的にもタメになる。

 ところで、我が家には、見られて困るようなコレクションはない!(きっぱり) あえて言うなら、自分の過去のマンガ原稿はちょっとはずかしい。死んだあとのことまでは知らんから基本好きにしていいと、だんだん話が通じるようになってきたお兄ちゃん(高3)には言っているが、「まず、京都国際マンガミュージアムに寄贈できるものはして、そのあと売るのならBOOK ○○ではなく、まん○らけにするように」と言い置いている。でも、おたくに限らず、人が死んだあとの手続きというのもいろいろめんどくさいようなので、迷惑にならないように日々の整理整頓をしておくべきだなあと反省する。退職したら家にある本の所蔵目録でもつくろうか。

2010年11月 3日 (水)

映画『借りぐらしのアリエッティ』

 背景にいやにリキが入っていたアニメだった。
 ……って!、それだけかい!? それがいちばんの印象だったんだもん。
 『ゲド戦記』あたりから、ジブリ作品を前売り券を買って、ぜひ観たいという情熱がすっかりさめてしまったが、子どもには子どものつきあいがあり、メシを食わせなければならず、あまり遠出もできないもったいない休日に、はじめて夫婦50割引を使っておとなだけで行ってきた。夏から上映されているから、もうそろそろ終わりかけ?と思ったけど、休日だったからまずまず入っていた。内容も、ぜんぜん期待していなかった分、意外とまずまずだった。ポニョの時のような不条理感があれほどなかったせいかな。
 原作は、児童文学の古典、ノートンの『床下の小人たち』だが、ごめん、未読だ。その分先入観はなかったのだが、小人たちは原作通り(だろう)西洋的な設定なのに、人間も自然も純日本風。これが無国籍風だったら違和感がなかったのかもしれないが、背景の自然がとても日本の風土なので、そこに西洋風の小人がいるとなんとなく違和感だ。館を西洋風にして添わしているようにみえるが、そもそもこの一家がどうやって島国の日本に来たのだ? 同じ小人のスピラーはマタギのようだし、この小人たちの設定ってなんか一定していない。
 それと、「君たちは滅びゆく種族なんだ」と主人公は言うけれど、このセリフは原作にあるのかな? 原作にあるのなら脚本のせいじゃないが、もし脚本で作ったのなら、ちょっと「よけいなセリフ」という感がする。……まずまずといいながら、けっこういちゃもんつけているなあ>自分

2010年11月 1日 (月)

書籍『トルコのもう一つの顔』『漂流するトルコ』

 『トルコのもう一つの顔』 小島剛一著 (中公新書)
 『漂流するトルコ』 小島剛一著 (旅行人)

 小島剛一さんの名前を知ったのは、雑誌「旅行人」だった。2010年上期号(No.161)に『漂流するトルコ』の1節が掲載されていて、下期号にも続きが載っていた。以下、単行本掲載ということで10月に出た新刊が同名の1冊である。その時、1991年に出版された“『トルコのもう一つの顔』の続編”というふれこみだったが、実は第1作は読んでなかったので、上期号を読んだあと、図書館で借りて読んだ。とても良かったので、新刊といっしょに本屋で購入してしまった。新書で発行20年経過して、絶版になっていないなんて、すごい!(と、私などは思うんだが)
 それだけ読ませる本だった。これは小島剛一さんしか書けない内容だろう。著者は1970年からトルコ共和国の少数民族の言語を研究している言語学者である。「日本は日本語を話す日本民族の国」と思っているように、「トルコ共和国はトルコ語を話すトルコ民族の国」だと思っている人が多いのではないだろうか。日本がちがうように、実はトルコもちがうのだ。政治情勢は刻々と変化するので、現在・未来はどうなっていくかわからないが、小島さんが1作目のフィールドワークを行っていた時点では、政府は「トルコ共和国はトルコ語を話すトルコ民族の国」であり、少数民族の存在を認めていなかった。その世情のなかでのフィールドワークは、読み進むとなかなかスリリングで(というような生やさしいものではないのだが)目が離せない。
 言語研究といっても、専門家の論文調ではなく、私らのような門外漢でもわかるように、会話も交えて、平たくとてもわかりやすく書いている。それが、そこらへんの小説よりもドラマティックでおもしろいのだ。そのくせ、言語の説明のところは、決して手を抜かず、事細かに例をあげたり、他言語と比較したりして説明してくれている。その内容を読んでいると、「この人はいったいいくつの言葉をしゃべれるのだろう」と思ってしまう。
 ラズ語、ザザ語、ヘムシン語、クルド語、ウブフ語……言葉ははてしない。
 余談だが、世界のあちこちの遺跡を観にいきたいけど、日本語しかまともに話せない私は、言葉の壁さえなければ、もっとフットワークが軽くなるのになあ……(サイフの中味は別にして)と、思ってしまう。

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