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2012年4月17日 (火)

北京旅行:万里の長城で初日の出(1)

 年末年始のネタを、3ヶ月以上放置していた。もういいかげん、そろそろ…ということで。
 12月31日〜1月3日に、タクヤ(小6)と二人で中国・北京に行ってきた。実は、8年前サトル兄ちゃんが小学5年生の時に、私のリフレッシュ休暇がとれたので、2人でインドのラジャスターンに行った。タクヤも中学にあがるまでに同じようにしてやりたかったが、年末年始といえど、前後に加えて休暇をとることはもはや無理なご時世なので、この範囲でいけるところで手を打った。だが、年末年始は料金がバカ高くて、短期間で遠方に行くのは、すっご~くもったいない。まあ、国内でもこの時期は値段が高くなるので、北京あたりだと、東京に行くのとそうかわらない。ツアーを利用すると、北海道や沖縄へ行くより安い。せっかくだから、この時期しかできないポイントをつけようと思って、「万里の長城で初日の出をみる」というのが今回のミッションのテーマとなった。
 インドには3回行ってるのに、中国は実は初上陸だ。中国4千年の歴史の遺跡や文物は好きなのだが、なかなか行く機会がなかった。でも、シュミ的なことをおいといても、これからの日本にもっとも影響のある国は中国だとも思っているので、いちど偵察(?)したかった。昨今オモテ稼業が年中繁忙状態で、あまり準備にも手間がかけられないので、今回はお気軽な完全パックツアーだった。あまりあちこち回るのはしんどいし、北京オンリー。だが、万里の長城に昼間と早朝の2回行けて、1泊は北京郊外の四合院造りの宿だ。ここらへんが、選択のポイント。だが、自由時間はほとんどない。ツアー名「万里の長城で初日の出鑑賞とリッツカールトンに泊まる北京4日間」 ここまでが前置き。

2012年4月10日 (火)

祇園会館 映画上映終了

 3月30日で、京都の名画座・祇園会館が映画上映を終了した。
 私が大学の頃は、3本立て1000円入れ替えなしでいろいろ上映していたので、大変お世話になった。高校までいた田舎には、映画館が4キロほどはなれた町中に1件あったが、お金もないし、観たことがなかった。たしか、東映まんがまつりとか、寅さんの映画とかやっていたように思う。映画といえばTVでしか観たことのない田舎もんが、映画を観だしたのは、この祇園会館のおかげである。劇場公開した映画の二番手だけでなく、基本的な名作も上映してくれていたので、映画に目覚めた以前の時期の名作もいろいろ観た。その頃はたしか、新作のロードショーは当日1200円、前売り900円ぐらいだったかと思うので、3本中気に入った2本だけ観ても十分お得感があった。『アラビアのロレンス』『時計仕掛けのオレンジ』『シャイニング』『カッコーの巣の上で』……あげればきりがない。
 就職して大阪に引っ越して、すっかり遠のいてしまい、京都に出戻ってもほとんど仕事で大阪通いだったので、なかなか時間がなかった。その頃は、いちど建物がリニューアルされ、2本立てになって新作ロードショーと同じくらいの価格になっていたかと思う。
 この3月で映画上映が終わるというので、これが最後になると思って観にいった。『三銃士 —王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船—』と『猿の惑星 創世記(ジェネシス)』が上映されていた。特にこれらの作品が観たかったわけでなく、祇園会館に行きたかったわけだが、どちらもエンターテイメントな作品なので楽しく観せてもらった。
 長い間、お疲れ様。ありがとう、祇園会館。

2012年3月13日 (火)

震災一年、そして今日この頃

 やっとネタが年を越した……と思ったら、年末年始の北京旅行を書きかけたまま、1ヶ月以上すぎてしまい、2月は一つも記事をUP出来なかった。仕事は年度末に向かって、次から次に涌いて出てきて、まっとうに夕食が家で食べられない。休日は休日で、主に小学校の卒業関係の用事をいろいろある。「月曜しか自由がきかない」といったら、メンバーが月曜に打ち合わせなどを調整してくれるのはありがたいが、しっかり時間が食われる。まあ、他の用事でも、なにかと外出してしまうので、なかなかパソコンの前に座れない。何の因果か、卒業式の謝辞を読む役に当てられた。読むだけで済もうはずもなく、まずその文章を考えて、用紙に筆(ぺン)で清書しなければならない。3月22日本番、逆算して19日(月)に清書、12日(月)に草稿。今日は、卒業関係で近所の銀行へ行っただけで、あとは引きこもり状態だった。

 というわけで、毎日がとても忙しい。本は積み上がっているし、掃除はできてないし、家の中は荒れ放題だ。世間様にもご無沙汰している。いろいろやりかけたまま、コタツで休憩して寝てしまうので、もっとふとんでゆっくり寝たい。そういや、しばらくマンガの原稿も描いていない。最近切り絵をやってみたいと思って途中まで用意をしているのに、そのまま3ヶ月ほど放置状態だ。
 でも、その日常はとてもありがたいものなのだ。1年前の3月11日、その日常が一瞬にして消滅した人々がたくさんいた。そして、ふだんはちょっと遠い存在である「死」が、すぐ身近に寄り添う。
 一昨日の3月11日の午後2時46分は、ちょうど書店にいて、萩尾望都の『なのはな』を買っていた。望都さまが描いたフクシマの鎮魂の物語。『なのはな』とともに合掌。

2012年1月31日 (火)

海軍ゆかりの舞鶴へ

 実は、12月に舞鶴のバスツアーに行ってきた。バスツアーといっても東舞鶴駅集合・解散の現地ツアーなのだが。「海軍ゆかりの舞鶴 バス&遊覧船ツアー」という芸も何もないストレートな名称で、申込みは京都交通なのだが、企画が舞鶴観光協会と舞鶴市。海上自衛隊舞鶴地方総監部やユニバーサル造船(株)舞鶴事業所、まいづる肉じゃがまつり実行委員会が協力に入っていて、ツアーガイドは地元の観光ボランティアや海上自衛隊OBだ。大手の旅行会社の企画とちょっとちがう地元感があっておもしろい。
 家でとっている新聞に時々小さな広告がのっていたので、2年ほど前から気にかかっていたのだが、いつも1日か2日ぐらいしか設定がなくて、なかなか日があわなかった。やっと日があって、実行したものの、当日は残念ながら雨曇り。でも、ときどきやんだりして、それほどきつい雨ではなかったので、まあまあよかったかも。
 まず、バスでユニバーサル造船の敷地内をみて(土日なんで、いちおう休日)、自衛隊桟橋で護衛艦の「あたご」や「みょうこう」をバックに肉じゃがをいただいて、昼は赤れんが倉庫のところのお店で海軍カレーとデザートは海軍ロール。そのあと、港めぐり遊覧船に乗って湾内を一周して、海軍記念館に行って、東郷元帥のお宅とやらを塀の外からのぞいてきた。けっこうもりだくさん。
 同じ京都府内なのに、ビミョ〜に遠い感があって、今まで未踏の地だった舞鶴も行ってみたらおもしろい(だけではないが)ところだった。

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2012年1月24日 (火)

「榎忠展 —美術館を野生化する—」

 薄暗い照明のなかで、未来都市のように立つ大小の薬莢を観たとき、思わず「かっこいい〜」と思った。地に匍う溶けた鉄もステキ。これはぜひ、観にいかねば。
 もうすっかり終わってしまったが、昨年の10月12日〜11月27日に兵庫県立美術館で「榎忠展 —美術館を野生化する—」が開催されていた。これはぜひ、大学で立体造形をやっているサトルを連れて行こうと思ったら、なかなか予定があわず、結局最終日に駆け込むことになった。
 プロフィールをみると、榎忠(えのき ちゅう)さん(通称「えのちゅう」)は、神戸を活動基点にして、長年いろいろヘンなパフォーマンスや作品を発表していたらしいが、申し訳ないことに私はあまり知らなかった。でも、イッキにファンになってしまった。関西の人だから、またどこかでなにかやるのに出会えるかも。
 今回の展示は、美術館の展示では珍しく「撮影OK」だった。うわわ〜、写真撮りまくり! でも、やっぱりナマの大きさ、質感、迫力がオススメだ。

2012年1月23日 (月)

コミティアと鎌倉散策

 去る10月30日(日)〜31日(月)で東京のコミティアと鎌倉に行ってきた。のど元過ぎたら、忘れかけていたが、そうそう、相方が産休に入って戦闘態勢になる前に、しばらく年休とかはとれないだろうからと週末を挟んで4連休をとらせてもらったのだ。初日の29日は小学校の運動会がすでに確定、そして当初の予定では11月1日から横浜でやなぎみわさんの演劇があるという情報があったので、コミティアと演劇をカップリングして一人で行くつもりだった。が、やなぎみわさんの演劇は、チケット情報が届いたら11月3〜6日になっていて、あえなく挫折。すでに、コミティアは申込み済だし、かといって2週連続関東に行けないし、すでに上演時期は臨戦態勢に入っていて、その4日はすべて出勤になっていたのだ。なので、運動会の代休で月曜日が代休になったタクヤ(小6)と二人で1泊2日で行くことにした。
 今回は1日目がコミティアで、宿が有明に近くなくてもいいので、ちょっと郊外を企画してみた。有名な観光地の鎌倉だが、実は未踏の地なのだ。そして、鎌倉といえば、吉田秋生のマンガ「海街Diary」の舞台だ。江ノ電や江ノ島水族館もあるから、子どもウケもする。こうして決めたのが、実は1週間前をきっていたのに、宿も足もなんとかなった。う〜ん、ギリギリでもなんとかなるもんなのね。
 30日のコミティアは、そういうわけで、タクヤを連れて行くつもりじゃなかったので、いつもの子連れスペースではなく、フツウの島中だった。5月に子連れスペースでご一緒だったみなさんに「子連れスペースは卒業します」と宣言していたしね。しかし、最寄りトイレのすぐ横が子連れスペースで、タクヤが見つけてしまい、DSをもってそこに入り浸っていた。おいおい。知り合いのサークルさんにごあいさつして、売上げの方はほどほどだった。
 コミティア終了後、湘南新宿ラインに乗って、鎌倉駅へ約1時間半。駅近のビジネスホテルに泊まって、次の日は江ノ電の一日乗車券を使って、鎌倉を歩いてみた。銭洗弁財天佐助稲荷神社鎌倉大仏(高徳院)新江ノ島水族館。平日の月曜日なのだが、銭洗弁財天と鎌倉大仏は修学旅行と地元の社会見学の子どもでとてもにぎわっていた。佐助稲荷神社は「海街Diary」でもいい雰囲気に描かれていたが、人も少なくて苔むしていてなかなかよかった。大仏さんは、すずちゃんが入っていたように、中に入れるのだった。そして、「しらすトースト」は見つけられなかったが、街中しらすだらけだった。しらすプレープとしらすラーメンを食べてみた。基本、あっさり塩味だから、わりと何にでも合うのね。海岸線を走る江ノ電もゆったりしてる。できれば江ノ島の岩屋にも行ってみたかったが、水族館で時間切れ。たまにはふつうの観光地もいいなあ。(ちょっと視点がちがう?)

写真は、しらすラーメン(上)としらすクレープ(下)


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2012年1月17日 (火)

フンデルトヴァッサーのゴミ処理工場

  ウィーンの芸術家フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーがデザインしたゴミ処理工場の見学に行ってきた。正確には、大阪市環境局の舞洲工場と大阪市建設局の舞洲スラッジセンターである。以前から職場の市内にあったので知ってはいたが、埋め立て地のちょっと行きにくい場所にあり、見学の曜日・時間が決められていて、事前に電話・FAXで申込みをしなければならないし、家族の予定がなかなかあわないこともあって、ついつい縁遠くなっていた。が、同人の友人のレポートを読んでがぜん行きたくなった。意を決して、昨年の5月の末に申し込んだが、季節に早い台風がきて、キャンセルした。今度こそはと、10月に再チャレンジし、父ちゃんに仕事が入ってキャンセルしたが、サトルとタクヤと3人で行ってきた。思いたって1年以上の長い道のりだった。
 どこからみても存在感バッチリの建物だが、なにかデジャヴュがあったのは、子どもが小さい頃行ったキッズプラザ大阪の中の遊び場がフンデルトヴァッサーのデザインだったのだ。その時は、ぜんぜんデザイナーについては気にしなかったよ。日本に3つしかないフンデルトヴァッサーのデザインが全部大阪にあるなんて、あの派手派手さが大阪人の波長にあうのだろうか。 舞洲工場は15人ぐらいの団体さんといっしょだった。見学担当の人の説明が詳しくてこなれていてとても面白い。スラッジセンターでは、なんと私たちだけだったので、とても近くで処理方法などの説明をしてくれた。
〈写真〉上・中 舞洲工場、下 スラッジセンター


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2012年1月16日 (月)

インディア・メーラー2011

 実は、昨年の10月からブログネタにケータイでとった写真をデスクトップに貼り付けたまま、記事を書く暇がなくてどんどん増殖している。いい加減あきらめて退避すべきかと思ったのだが、せっかくなので時期遅れになったけど、いくつか書いておくことにする。

 去る10月9・10日に神戸メリケンパークで「インディア・メーラー」が開催された。在日・在留のインド人の多い神戸で毎年行われているイベントで、今までウワサには聞いていたけれど、日程が合わなくて行ったことがなかった。実はいろいろな食べ物屋台や物販やステージ企画があり、カレーのランチを食べたり、チャイを飲んだり、インドスナックを買ったり、いろいろ服をあさったりと、ついついお金を落としてしまうキケンなイベントである。
 それはそうと、今回は思いがけずラッキーなことがあった。ナマのヴィカース・スワループ(ヴィカス・スワラップという表記の時もあり)を見たのだ! え?誰だって? 在大阪神戸インド総領事で、映画『スラムドッグ$ミリオネア』の原作小説『ぼくと1ルピーの神様』の作者なのだ。まあ、このイベントの共催には在大阪神戸インド総領事館も名前を連ねているしね。でも、お頭が来ているとは思わなかった。ビンゴゲームで、ビンゴであがった人たちとステージでジャンケンしていた。……と、ひとりでキャ〜と興奮していたが、周囲は意外と冷静だった。

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2012年1月15日 (日)

ありがとう、『旅行人』休刊

 先月12月の初め、雑誌『旅行人』の165号最終号が届いた。162号で休刊宣言をだしてから1年半、予告どおり今号で休刊した。
 最終号の特集は、「世界で唯一の私の場所」。ひとり2ページで、いままでの執筆者がぞくぞく載っていた。ここんところ、誌上で拝見しなかったおがわかずよしさん、伊藤伸平さん、池彼方さん、平尾和雄さん…おひさしぶりです。詳細手描き地図の富永省三さんもいる。『旅行人』に載ってた頃はそれほどメジャーじゃなかったのに、今はあちこちで本をだしている人たちもたくさんいる。23年間の年月をしみじみ感じてしまう。最後の蔵前さんの「旅行人休刊にあたって」もしめくくりにふさわしい。
 私も1996年から長々と15年つきあわせてもらった。本当に最後までありがとう!

2012年1月13日 (金)

『小松左京マガジン』第42巻&第43巻

 定期購読をしている『小松左京マガジン』は、できるだけ感想をUPしようといつも思っているのだが、読み終わってもなかなか書き切れないで今に至ってしまった。いつもなら、「しかたない」とあきらめてしまうところだが、今回は書いておきたい。
 第42巻が7月28日発行、第43巻が10月28日発行、そしてその間に大事件があった。小松先生が逝去されてしまった。いや、正確には、小松さんが亡くなったのは7月26日なのだが、マガジンが届いた方が早かった。28日より早く届いたように思う。たしか26日。そこに載っていた小松さんの写真は、なんとなくこざっぱりとして以前より元気そうに見えた。そのあと、28日の帰りの電車の中でmixiニュースをみてガクゼンとした。次の日の新聞の朝刊には訃報が第1面に載っていた。
 正直、そんなに驚かなかった。『小松左京マガジン』を読んでいると、だんだんご自身の文章が少なくなり、体調の悪いときもあったような気配があった。SF大会も、2007年のワールドコンを最後に出席されなくなった。「ああ、ついに」という思いがよぎった。
 第43巻は初めての小松さんがいない『小松左京マガジン』になった。この追悼号の発行前にマネージャーの乙部さんから会員からの追悼文募集のメールがあったので、恥ずかしながら寄せさせていただいた。私などより遙かに深く深く小松さんと関わっていた人たちの追悼文が興味深い。いろいろな新聞に掲載された著名人の追悼文も再録されている。

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